ナスPの日記

日常生活で自分が何かを「思った」時に、「なぜそう思ったんだろう?」ということをめっちゃ考えて書きます。

口を開けて、飴が落ちてくるのを待ってる

最近、高校の頃の知り合いを遊びに誘わなくなった。

数年前までは、最低でも一年に一度、多ければ数ヶ月に一度は誘っていたのに。

皆を誘わなくなる前に、私は一人のメンバーをLINEのグループから外した。そのLINEのグループ上で、高らかに、そいつを糾弾した後に。

だから、他の知り合いは、私が皆を誘わなくなった理由を、そいつがやらかした事のせいだと思っているようだ。

でも実は違う。
知り合いを誘わなくなった理由は、そのグループ内にあるわけじゃない。
第一、そいつをLINEから外した後も、何度か遊びに誘ったことはあるし。

皆を遊びに誘わなくなり始めたちょうどその頃に何が始まったかというと、会社の同僚が頻繁に日帰り旅行に誘ってくれるようになったのだ。
前々から開催されていたグループ旅行に、途中から参加させてもらうようになった。


数ヶ月に一度の頻度で、新幹線に乗って観光地に出かけ、温泉に入って帰ってくる。
時には泊まりもある。

その旅行は、新幹線の切符の手配から現地における観光名所の取捨選択まで、一括でその同僚が行う。

旅行が終わる度に、同僚は「次は○月頃の開催となります。次の参加もお待ちしております。」
と締めくくる。

私達は、また次の旅行を楽しみに、日々の仕事に戻っていく。

旅行に行った直後は、
「しばらくはお出かけとかもういいかなぁ。」
と思うし、次の旅行が近くなると、
「次の旅行があるし、他のお出掛けとかは別にいいかなぁ。」
と思う。

旅行の頻度がもう少し低ければ、
「その間に他の人とお出掛けしようかな。」
とも思うかもしれないけれど、
同僚からのお誘いの頻度と、私がお出掛けしたくなる頻度がちょうどよい案配なので、私の旅行欲は、自分で頑張って満たしてやる必要がない。


5人とか6人からなるグループを引き連れて旅行したことのある人なら分かると思うけれど、あれは結構な手間がかかる。
昼御飯を食べる場所を確保したり、一人だけ遅れてくる人がいた場合にどう対処するか決めなくてはならない。
(寝坊で一時間遅れてくるやつの為に、他のメンバーをただ待機させるなんて、最もやりたくないことだ。)

旅行というのは、まぁそれなりに楽しいものではあるけれど、同時に手間がかかるものでもある。
それでも、自分を楽しませたいと思うなら、その手間をかけてでも実行する価値は、当然ある。
何より、自分を楽しませてやれるのはこの自分しかいないんだから、やるしかない。

って、前は思ってた。

なんだけど、今のこの有り様はどうかしら。
自分から楽しみを取りに行かず、全自動で提供される次の旅行を、ぽかんと何もせずに待っている。

これが怠惰でなくてなんだろう。