ナスPの日記

日常生活で自分が何かを「思った」時に、「なぜそう思ったんだろう?」ということをめっちゃ考えて書きます。

「だって熱海への行き方知らないでしょ?」

世の中に、遊びに誘われた時の断り方は数あれど、私が今でも覚えている衝撃的な断り方は、

「だってナスPは熱海への行き方知らないでしょ?」
だった。

当時、私は20歳で社会人になったばかり。
友人のほとんどはまだ学生だ。
そんな友人のうちの一人と、次の大型連休でどこに遊びに行こうかという話をしており、友人は近場を、私は熱海を提案したのだった。

そこで友人が「熱海へ行くのはちょっと…」と難色を示したため、私が「たまには遠出しようよ~。」と言い出したところ、出てきたのが冒頭の言葉だったわけで。

ちなみに、こういうこと言われたらどう思う?
私はねぇ、これを思い出す度にムカついてる。
「オメーなぁ、そういうことも調べられないほど、私が馬鹿だと言いたいのかぁ?
 自分が知らないからって他人もそうだと思ってんじゃねぇぞぉ?」と思う。

ま、ただその時の私はとにかく熱海に行きたかったので、友人から発せられた無礼な言葉を気にすることもなく、
「すぐに調べるよ! …調べたよ! ○時○分に東京駅から熱海行きの電車が出てるから、それに乗ればいいんだよ!」
と返した。

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話ちょっと逸れるんだけど、私はバルバラ・ベルクハンの著書が大好きで、特に「グサリとくる一言をはねかえす心の護身術」の後書きにあった以下のことが凄く頭に残っている。
曰く、
「日常という砂漠のなかで、夢という星を追って着実に歩みを進めているとき、人は周りの雑音が気にならなくなるのです。
どんなに犬がキャンキャンわめこうと、キャラバンが目的地へ向かうのを止められないように。」
と。

バルバラ・ベルクハンの言うとおりだったなぁ。
あのときの私は、熱海という星を目指して一心不乱に突進していたから、友人から何を言われても「熱海への道に障害があるならなんとしても取り除く!」としか思わなかったんだなぁ。
あの一言で友人が私をどういう風に見なしてるかとか、普通なら気になっちゃいそうなもんだけど、当時はそんなことどうでもよくて、とにかく熱海に行きたかったんだなぁ。
「なんとしてでもこれをやり遂げる!」ってなってる最中は、他のことが気にならなくなるって本当なんだなぁ。

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閑話休題
話を元に戻しますが、え~、なんの話してたんだっけ?

あ~そうそう、友人を遊びに誘ったら「だって行き方知らないでしょうアナタ」とかいう斜め上の変化球が来て、そのときは気にならなかったんだけど、馬鹿にされてた気がして思い出す度ムカつく、っていう話をしてたんでしたね。

で、まぁ10年くらいは「思い出しても未だにムカつく」とか思ってたんだけど、最近はこうも思うのですよね。
つまり、
「彼女は熱海へ行きたくなかったのかも。」
と。

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30過ぎてからよく思うのですが、
人間て、時々自分の欲求をそのままストレートに出すことが出来ないことってあるよね。
たとえば(たとえばの話なんで実話じゃないよ)、
「ナスPが牛乳飲み過ぎるせいで牛乳の減りが早い! 1日1杯以上飲まないで!」
と誰かに言われたりする。
こういう言い方をされると、話は「牛乳を飲む量は1日何杯が適量か? 飲む人は1日1パック飲むでしょうよ。」みたいな方向に進みがちになるんだけど、よくよく話を聞いてみると本当に不満なのは、
「ナスPだって牛乳飲むのに、牛乳の補充をしてるのは自分ばっかりで不公平に感じてる。」
ことだったりする。

じゃあ最初っからそう言えばええやん、と思うでしょ?
でも心っていうのは複雑なものみたいで、意識上に言葉が上がってくる前に、大部分を無意識のうちに処理してしまうようで。
たとえば上記の例だと、
「牛乳の補充の負担をナスPにもして欲しいけど、ナスPはここの所凄く忙しくてぐったりしてるから、牛乳買いに行かせるのかわいそうだし、お願いしても承諾してくれないかも」とか、
「自分はこの状況を不満に思ってるけど、その気持ちをナスPに伝えたとして、その気持ちを尊重してもらえるだろうか? ”お前の不満なんぞ知ったことか”とか言われたりしたら、自分は傷ついてしまう。」とか。
そういったことを事前に無意識のうちに脳味噌で処理してしまって、不合理だけど無意識なりには考えて、
「ナスPに今以上に負担を強いなくて、かつ自分の気持ちをいちいち白状しなくてもいい(自分が不満に感じてるから、という理由ではなく、ナスPが悪いから、という方向に持っていける)」理論を編み出す。
特に後者の感情はかなり表に出て来にくい。
「自分の手の内を先に明かして、自分の感情を先にさらけ出して、それに対する反応を待っている」という状態は、かなり精神的に無防備になる。
自分の無防備な心に、鉈を降りおろされたら、と思うと怖い。誰だって防御的な態度にならざるを得ない。
だからこそ、
「この状況は改善する必要があるんだけど、それは”私がこう思うから、こうしたいから”ではなく、”君のせい”だよ。」
ということにしたがる。
人間の無意識っていうのはそういうことをやらかすことがあるよね、っていうのが最近思うところでして。
無意識ってやつは、人のせいにして自分の精神的な負担を回避したがるものなのだから、それを自覚しておかないとな。これをやりたいと思ってるのは自分だし、この状況にたいしての責任を背負ってるのも自分だぞ、と常々言い聞かせてるのです。

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話が結構逸れましたが、熱海に話を戻しますと。
まぁ、友人は熱海に行きたくなかったんだろうね。かったるいと思ったのかもしれないし、あまり知らないところへ行くのに抵抗があったのかもしれないけど、ま、本当の理由はわからない。

とにかく行かずに済ませたいんだけど、目の前のナスPは凄く熱海へ行きたがっている。
ここで、まぁ普通なら…、普通ならどうなるんだろうね?
私はぶっちゃけ、自分の希望と他人の希望が分かれたパターンに遭遇したことがないんで…、うーん、わかんね。
わかんないけど、私が逆の立場だったら、
「仕事で疲れててかったるいから、あまり遠くに行きたくないんだよね~。熱海に行くのは今度にしない?」
と譲歩を迫るか、
「仕事で疲れてて(中略)なんだよね~。どうしても熱海に行きたいなら、私は今回はパスだわ。」
かな。
どちらにしろ「私がそこにこだわるのはこういう理由があるから」ということは伝えるかな。もしかしたら、それを聞いた友人がもっといい案を出してくれるかもしれないし。当時だったらどうしたかわからないけど。

まぁとにかく私だったら上記の通りにするんだけど、当時の友人は、はっきりと、目の前にいるナスPと対立するのを恐れた。
わがままだと言われるのが嫌だったのかもしれんし、あるいは、人と違う意見を提示して、それをすり合わせるのに慣れていなかったのかもしれない。
何かをやりたいとき、あるいはやりたくない時、「自分がそうしたいから」というとわがままに見られるかもしれないし、角が立つかもしれない、という不安には心当たりがある。だから、「”自分がそうしたい”というと角が立つから、”君の側の事情なんだから仕方ないよね”という方向に話を持っていきたい」ってなる気持ちも分かる。
私は自分が具体的にそういう言動をしたことはない、と思うけど、でも、他人を説得するためにはそうする方が効果的だと思っていた時期はある。
仕事で他人を説得する立場になると、そういうの(責任の所在を他人に押しつける行為)は返って逆効果だというのがわかるけど。

ま、詳細な事情はわからないけど。
友人は自分の意見を通すために、自分の事情ではなく、「ナスP側の理由」で熱海が不適切であるということにした方がいい、と判断した。
そこで考えた理屈が「”ナスPが”熱海への行き方を知らないんだから行けない」。
なんというか、子供らしくて稚拙な答えだ。これを言ったのが小学生なら愛らしいけど、成人式を終えた人間が相手だと「もう少し捻れや」と思う。

ふむ、やはり書いている間にも怒りが沸いてくるな。
同じ理屈をこねるならせめてもう少し理性のフィルター通せっちゅーの。あれか、そんなに私に対して脳味噌のエネルギーを割くのが面倒だったのか。
そんなにエネルギーを割くのが嫌なら素直に「嫌」の一言で済ませればいいのに、その自分の気持ちを検証すらせずに、なんていうの、無意識から出てきた言葉を全く吟味せずに頭に浮かんだ言葉をそのまま羅列しましたってのがよ~く伝わってくるな!
数秒間ケータイをいじくればすぐわかる情報を私が”知らない”ってことが、状況をひっくり返せるほどの決定的な理由になり得るのかどうか、あるいは、そうでなくてもそれをそのまんま伝えることが相手に失礼に当たらないかとか、それこそほんの数秒かけて検証する程度の手間を惜しまれたってことがね、もう、ホント、マジで心底ムカつく。ぎゃーす!

10年後にふと思い出してみて、今の自分なりに新しい視点は得られたけど、別の理由でやっぱりムカつくもんはムカつく、というお話でした。
当時、気乗りのしない友人を熱海に連れてって、当然踏んだり蹴ったりな目に合いましたとも。