ナスPの日記

日常生活で自分が何かを「思った」時に、「なぜそう思ったんだろう?」ということをめっちゃ考えて書きます。

大人になるというのは

高校生の頃に、自転車を盗まれたことがある。

それを母に報告すると、怒られた。
「鍵も掛けずに自転車を放置するなんて! そんなの、盗まれる方が悪いに決まってるでしょ!」

自転車を盗まれてただでさえショックなのに、そのうえ母親に怒られて、泣きっ面に蜂ってとこだった。

「え、おかしくね? 被害にあったのは私なのに、なんで怒られるの?」
と思っていた。

で、それを学校の後輩に言ったら、
「まぁ…。でも、鍵をかけてなかったんだから仕方ないですよねえ。」
と返ってきた。

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この頃(っていうか今でもそうだけど)、私は
「言葉を文字どおりにしかとらない」傾向があった。

だから、
「自転車を盗まれた自分は被害者だし、悪いのは盗んだ人でしょ?」
と、単純に思っていたし、

それで私を責めてきた母に対しては、
「それなのになぜ、私が悪いと言われにゃならんの?」
と思っていた。

過去に私がいじめられていた時も「あんたが悪い」と言った人なので、
「よくわからんけど、とにかくこの人は「あんたが悪い」と言わないと気がすまないだけなんだ。」
と思っていた。

でも、高校の知り合いに片っ端から聞いて回っても、
「そりゃ、鍵も掛けずにいたなら、盗まれた方が悪いよ」
と、母と全く同じことを言う。

私に同調してくれる人は、一人もいなかった。

「母親はもともとおかしいこと言う人だからいいとしても、回りの人皆が「盗まれた方が悪い」ってどういうこと? 世の中間違ってる!」
と、その時はモヤモヤしてしかたなかった。

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で、大人になった今はこう思う。

えーと、「鍵をかけてなくて自転車を盗まれた」という事実には、二つの側面がある。

一つは、「自転車を盗んだ人がいる」という側面。
もう一つは「鍵をかけていないことにより、盗まれやすい状況にしてしまった人がいる」という側面。


鍵をかけてなかったのは、別に誰かを傷つけようとしたくてやったわけじゃない。私は何も間違ったことはしなかった。


でも、「盗難が発生しやすくなるような状況にしたか?」というと、実はその通りでもある。

駅から近く、それでいて人気のあまりないところへ、鍵も掛けずに自転車を放置した。それも長時間。
自転車の盗難が多発しているという看板も出ていたのに、遅刻しそうだからという理由で鍵をかけるのを怠った。
遅刻しそうな状況を回避するために、余裕をもって早起きするという選択肢もあったけど、しなかった。

これは別に「だから盗まれた方にも責任がある」という意味じゃない。
盗んだ人と盗まれた人、法律的にも倫理的にも、どちらが悪いかと言えば当然盗んだ方だ。

でも、「自分は悪くない」からといって、状況から何も学ばないなら、私は無力な子どものままだ。

たとえ自分が悪いことをしていなくても、世の中では痛い目に会うことがある。
今後同じことが起きないように、自分に何が出来るんだろう、ということをこの状況から学んで、より賢くなれたなら、自転車が盗まれたことにも意味を見いだせるというものだ。

それが自分の責任であろうがなかろうが、現実に起きた結果は自分で引き受ける。
っていうのが、大人になるってことよね。

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高校の頃の同級生や母親は、
そのことを感覚的に感じている程度には、私より大人だったけど、
そのことを言葉で説明できるほどには大人ではなかったんだと思う。


でもなぁ、せめて誰か慰めてくれたっていいよなぁ。
「あなたは何にも悪いことはしなかった。
自転車を盗まれて辛い思いをしたのね。
次からちゃんと鍵をかけて予防しようね。」
でええやん。