ナスPの日記

日常生活で自分が何かを「思った」時に、「なぜそう思ったんだろう?」ということをめっちゃ考えて書きます。

兄と私の就職活動

私は20歳くらいで就職活動したんだけど、只でさえ就職氷河期とか言われてて、4月から活動開始するのが当たり前という時に、私が活動開始したのは10月くらいだった。

早速7社くらい落ちた。
当時は50社100社の面接を受けるのが当たり前と言われてたけど、それでも7回連続でお断りされるというのは結構キツイ。

まぁそれでも、次の会社を探して申し込みしないとな、と思っていた矢先、父から、
「父さんの知り合いの会社を受けてみるかい?」
と打診があった。

私が希望している業界と、父の働いている業界が同じであることは分かっていた。
けれど、父はいわゆるフリーランス的な働き方をしている、ということも知っていたので、「父親のコネを使うのは無理だな」とも思っていた。
ほら、よくあるじゃん、コネ入社的な、口利き的な?
まぁでもあれって役職のついてる人がその権力を利用してやるもんでしょ?
うちのおやっさんはそもそもフリーランスだから、そういう権力とか無縁だし。
と、思ってた。

しかしそうか、コネは無理でも、ツテを伝って紹介くらいはしてもらえるのか!
もうぜひよろしくお願いいたします!
と父に返事をした。

数日後、「ここに電話しなさい。」とメモ用紙を渡され、そこからトントン拍子に面接、採用、となった。


/////////////////////////////////

その後、「なぜわざわざツテを紹介してくれたのか?」と父に聞いたところ、返事は、
「7社も面接落ちてて、大変そうだなと思ったから」だった。

///////////////////////
その1年後、今度は兄が就職活動の時期になった。

私と兄は2歳違いだが、私が短大で兄が四年制だった上に、兄は1年留年してたのだ。

兄の希望も、私や父と同じ業界だったが、父は、今度は兄にツテを紹介する様子はなかった。
私などよりもよほど大量に面接を受けていたのに。

二人でいるとき、
「兄にも紹介してやらないのか?」
と聞いたところ、返事はこうだった。

「あなたに紹介したのは、あなたなら人に紹介しても大丈夫だと思ったからだ。
兄はちょっと…、だらしないところがあるから…。」

////////////////////////////

その返事を聞いたとき、私はその言葉をまともに受け取ることができずに、こう思ってた。
「私に紹介してくれたのは、私が面接に受かりにくい属性で、兄が面接に受かりやすい属性だったからでは?
だから、私に同情して紹介してくれたけど、兄なら大丈夫だと思ってほっといてるんでは?」

私はまだ就職して間もなかったので、就職活動のことが頭にこびりついてた。
私が入りたい会社の応募条件に、自分が当てはまらないので諦めた経験があったのだ。
その募集条件というのは、
「理工系の四年制大学を卒業しているか、卒業見込みであること」。

私の兄は理工系大学だったが、私の卒業したのは、いくらプログラムを教えていたとはいっても、文系短大だった。

兄よりも自分の方がよっぽど頭がいいし勉強してるし努力してるのに、
なぜ学歴で足切りされなければいけないんだろう。
という僻みがあったことは否めない。

////////////////////////////////
あれから10年以上経った。
兄は就職した会社を数年で辞めて、全く別の業界で働いている。

私は、一度別業界へ転職したものの、なんとなくまた元の業界に戻って働いている。

///////////////////////////////
あれから10年以上たって、いくつか思うところがある。

一つは、父の言葉は本当に心からの本心であったろうな、ということ。
バイト三昧のあまり留年してしまったということ以外にも、やはり兄貴にはだらしないところがあった。
そのだらしなさのつけを払わされるのは主に私だった。
お金を貸せば返ってこないし、ラジカセを貸しても返ってこないし、いらなくなったゴミを私の机の上に山積みにするし。
それで母に文句を言っても、「心の狭い子ね~!」といわれるだけだ。
私は決して他人に対してそんなことはしなかったしできなかったけれども、「自分だけ正しいことをしてても、いいことなんか一つもない」と、ずっと思っていた。
けれども、父は私の礼儀正しさや、誠実さをちゃんと見てくれていたのだな、と、今は思う。
「人に紹介しても大丈夫」というのは、ただ単に「学校を留年せずに卒業した」とか、「成績が良かった」というだけでは出てこない言葉だな、と。

もう一つ思ったのは、私には適正があって、兄貴には適正がなかったんだな、ということ。

私には紹介して、兄には紹介しなかった一番の理由はそれかな、と思う。

年食った人間から見て、20才のころの自分は、ある程度有望に見える要素があった。

文系出身で、学校で受けたプログラムの授業が週に数時間ではあったけれども、
「プログラミングって面白い!」とのめり込み、
学校の授業と関係なく、図書館でプログラムの本を借りまくって勉強したり、自分でコードを書きまくってた。
わからないことがあれば、身近なプログラマーである父に質問していた。
そんな若者がもし身近にいて、何度も面接に落ちているのを見たら、私なら「こんなところでプログラマーを諦めさせるのはもったいない!」と思う。し、おそらく父もそう思ったのだろうと思う。

兄貴がどうだったか知らないけど、数年でこの業界を離れてしまったことからして、兄にはあまり適正がなかったんだな、という気がする。
バイト三昧のあまり留年したことからして、プログラマーよりは接客業の方が合ってたんじゃないかな。
今やってるのも接客業だし。


最後の一つとしては、兄貴については、適正がないってもっと早く気づけたはずなんじゃないかなぁ、ということ。
今から振り返ってみて、他人の私でさえ、「ああそういえば」と思い当たる節が出てくる。
まして本人なら、なおさらさっさと気づけたはずだと思う。
なんなら、留年した時点で気づいてたかもね。

でもさ~、高いお金出してもらっといて、「この分野は僕には向かないので止めます」とはなかなか言えないよね~。
はっきり言って兄貴にはいろいろお金かかってたもん。
大学費用以外にも、塾とかね。
しかも奨学金まで借りてたっす。
ましてさ、向いてないから大学止めますって、じゃあその後どうすんのかってことも考えなきゃだし。
親からは「留年したのは仕方ないけど、とりあえず大学出ておけ」って圧力あったと思うしね~。
でもさ~、大学出たあと、そのままプログラマーになっちゃったってことは、本人もやっぱり適正に気づいてなかったんだろうね。
「ま、せっかくプログラムの勉強したしな」とも思うだろうしね。

最初から気づけたはずじゃん!とは思わない。兄貴はその状況で出来る限りの判断をして、最善の選択をしてきたと思う。

ただ、「大学でプログラム勉強したんだから、プログラマーにならなきゃもったいない」とか、「大学は取り敢えず出ておけ」とかいう感覚さえなければ、兄貴は貴重な20代の時間を、もっと有意義に使えたろうに、と思う。