ナスPの日記

日常生活で自分が何かを「思った」時に、「なぜそう思ったんだろう?」ということをめっちゃ考えて書きます。

「ただ単に嫌なことから逃げ出したわけじゃない」とどうやって証明できるのか

その職場には3か月しかいなかったんで、社長からの嫌がらせのようなクレームのメールが来たのも3回だけなんだけど。

私は、たった3回、3か月目で「この職場を辞めよう。」という判断を下した。

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自分で自分の判断を、「より良い方向へ向かうためにこれでよかった」って信じてる。

だけど、時々

「ただ単に嫌なことから逃げ出したわけじゃない、と証明できるだろうか?」

と考えることがある。

 

判断が早すぎたんじゃないか。
自分は根性なしなんじゃないか。
あと、私はやるべきことや、伝えるべきことをちゃんと伝えなかったんじゃないか。
クレームの中身も、ちゃんと真摯に受け止めて改善すべきだったんじゃないか。


と、いう考えがなぜか頭をもたげる。

クレームが来た時に私はただ「わかりました。」としか言わなかった。
「それを1か月後に言われても当時の状況を思い出せません。問題発生直後に言ってくれた方が効率的では?」とか
「問題に気付いた同僚が直接私に言う方が効率がいいのでは? なぜ社長経由で月に一度まとめて言うの?」
と思ったけど、言わなかった。

言っても無駄だと思ったので。
そのメールを見た瞬間に
「この職場からとっとと逃げ出すべきだ。」
と判断したので。どうでも良かった。どう思われようと。

でもそれでよかったんだろうか?
もしかしたら、言えばちゃんと伝わったんじゃないだろうか?

確かに1度言ってのらりくらりとかわされたけど、何度も手を変え品を変えて伝えるべきだったんじゃないか?
だって、物事がたった一度試しただけで上手くいくわけがないんだから。


それから、仕事のやり方ががさつだとか、遅いとかいう指摘は、もっと真摯に受け止めて改善すべきだったんじゃないか?
だって、そうしないと成長しないじゃん。

もっと頑張るべきだったんじゃないか?

私は、人生の立ち向かうべき困難から逃げ出しただけなんじゃないか?
もしくはこれがそうでなくても、この問題から逃げ出したことによって、将来確実にくる困難へ立ち向かう力を失いつつあるのでは?
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普段はそうは思わないんだけど、時々そういう考えにとらわれるのは、
「今の自分の幸せが分不相応な気がする」からだ。

 

その職場に見切りをつけた結果、今は、やりたいことをやりたいようにやれている。そういう仕事にありつけている。
それがすごく、分不相応な気がしてならない。

私には、あの職場のように、月に一度社長から同僚一同を代表してクレーム一覧を受け取る生活が似合っている気がする。

だってなんかこう、なんの苦労もしてないし?

だってほら、幸せを手に入れるには、もっと紆余曲折を経るものじゃないの、普通。
人生の立ち向かうべき困難と向き合って闘った結果、どうにか嫌な仕事から逃れてやりがいのある仕事を勝ち取りました! みたいなさ。

なんかこう、うーん、他の人には降ってこない幸運が、自分の身の上にだけ降ってきているような不自然さを感じるんだよね。

自分がこんなに幸せである根拠がわからない。

自分は今もあそこにいたはずなのに、って思う。